『自殺について』が素晴らしい

 ショーペンハウアーの『自殺について』を読んでいる。素晴らしい。ショーペンハウアーは偉大だ。『読書について』も素晴らしかった。

いかに、ひとりひとりの生活が、惨憺たる艱難辛苦に直面しているかを、よくよく考えてみるならば、だれしも、戦慄を覚えずにはいられぬであろう。それこそ、むしろ死んだ方がましだ、いっそ思いきって自殺しようかという考えさえ、やすやすとつのりかけてくるかも知れない。もとはといえば、死から逃れようとするので、生が成り立っているのではあるけれども。ところが、このような逃げ場すら、とかく、せきとめられがちなので、わたしたちは救われるあてもなく、いつまでも悲惨きわまる苦境に沈淪しているのだ。

ショーペンハウエル『自殺について』 KADOKAWA 2023/7/15 Kindle版 ASIN:B00DVZRP1S

 なんという慧眼無双。真理を目の当たりにしている。霧が晴れた。おぼろげだったものがはっきり姿を現した。

 多種多様な人が書く「人生」や「生き方」に関する本やブログが、いかに嘘だらけの愚劣で稚拙で拙劣で妄言ばかりの戯言であるか。

 「ただ生きるのではなく、善く生きる」というソクラテスがいかに間抜けであるか。しっかりソクラテスを読んだわけではないので切り抜きに踊らされているのかもしれないが、学校でも習う有名なこの一節は滑稽で仕方ない。

 

人間の一生は、それぞれ、全体として見ると、悲劇の性質を帯びているもので、生涯は、通例、ひとつづきの・的をはずれた希望・空におわる計画・時機を失してから気づかれる迷誤にほかならぬことを、わたしたちは、知るのである。

ショーペンハウエル『自殺について』 KADOKAWA 2023/7/15 Kindle版 ASIN:B00DVZRP1S

 これについては生きてみないとわからない。しかし現時点においてこれまでの31年は上記の通りである。

 

 本当にこの世は救いがない。必要なのは自殺予防とかいのちの電話ではなく、安楽死だろう。生きるのは苦しいに決まっているじゃないか。愛する人が死んだら悲しいに決まっているじゃないか。「ところが、このような逃げ場すら、とかく、せきとめられがちなので、わたしたちは救われるあてもなく、いつまでも悲惨きわまる苦境に沈淪しているのだ。」ショーペンハウアーの言う通りである。

最近思うこと

 子どもが生まれると、妻と子どもが幸せを願うが、切なくなる。なぜこのような悪夫のもとに。二人の寝顔を見るとつらくなる。

 この環境を楽しんだほうがいいのか。俗にいう楽しんだもの勝ち。この言葉、勝ち負けの概念が入っているから親しめない。親しめないのは、劣等感か。情けない。

 楽しんだもの勝ちではなく、「悲観より楽観マインド」と言うことにしよう。やっぱりマインドなんて嘘くさいからやめた。「悲観より楽観の心」がしっくりくる。

 悲観より楽観の心は、異物感がある。世の中は傷つく事ばかり。無意識にそう思うし、意識して自問してもやっぱりそう思う。そういう心に楽観は馴染まない。

 最近本を読んでも1、2ページくらいしか読めない。それを一日数十回。子どもが泣くから。それでも全然ストレスにならない。妻と子どもが幸せならばそれでいい。

 カマキリのオスは羨ましいと思ったが、食べられるのは怖い。本人はどう思っているんだろう。恐怖を感じるのか。

 人間は自ら不幸になった。自ら悲しみに飛び込んでいく。悲しい映画を観て泣き、悲しい小説を読んで泣く。人を愛する。死んだら悲しいのに。

終宴

 なぜか月岡温泉に行き、日帰り温泉にゆっくり浸かり、予約なしで旅館に泊まった。

 

 日帰り温泉では、湯に浸かりながら、今日明日をどうやって過ごそうかと考えた。これを書いているのは3月3日だが、内容は3月1日から今日までのことである。3月2日に妻と子どもはアパートに戻って3人生活が始まる予定であった。つまり3月1日は一人最後の日であった。

 

 このまま帰った場合、この日はアパートで過ごし、翌日妻と子を妻の実家に迎えに行くことになる。もし月岡温泉に泊まった場合、この日は旅館で過ごし、翌日チェックアウトしてから妻と子を迎えに行くことになる。

 

 悩みどころだった。一人のんきに妻と子を迎えに行く日に悠々旅館を出て、迎えに行くのはなんだか申し訳ないと思った。それなら今日は一人アパートで過ごすことにするか。そう思うと、いや、最後の一人の日に、一人でアパートにいても落ち着かないだろうとか、何か普段できないことをしたい、などという考えが浮かんできた。

 

 最後の決め手は心の中での清算だった。他のことで清算することによって、旅館に泊まることを自分に許可した。申し訳ない、という気持ちが帳消しになるような自分が受けている罰や受けるであろう罰。それはひどいもので、自分で作り上げた罰だった。

 

 こんなふうに清算をしないと何かを実行できないなんて、後ろめたいことがある人の特徴なのか、自分に厳しい人の特徴なのか。いや、後者ではないだろう。自分に厳しい人はその場その場で清算することはないだろう。もともと計画を立てるはずだ。清算に行き当たりばったり感がある人は間違いなく、後ろめたいことを抱えて清算をしているのである。

 

 さて、観光案内所に行き、当日泊まることのできる旅館を探してもらい、電話をかけ、泊まることになった。1泊2食付き。

 

 部屋は広く、食べ物は豪華だった。さすが月岡温泉だ。食べ終わると満腹で苦しくなり、部屋で休んでから、夜の街へ繰り出した。

 

 雨が降っていた。金曜日だというのに街は静かだった。入ったスナックは和やかで、一人旅ですか?と聞かれた。おそらく一人旅で訪れる人が多いのだろう。私は一人で訪れたので、はい、と答えた。答えてから、住まいは新潟市であり、一人旅ではなくドライブに分類されると思った。どこから?と聞かれ、新潟市です、と答えると相手も笑っていた。私も笑った。

 

 スナックでお客さんが、楽しくないとつまらない、と言っていた。私はただの逃避野郎に過ぎなかった。課題に向き合いたくないのである。そのために不幸なふりをしていたのだと気づいた。

 

 深夜1時を回ったころ店を出て、雪が降る中、旅館に戻り、朝までぐっすり寝た。

 

 雪が木々に積もり、朝の柔らかい太陽に照らされた月岡温泉は美しかった。

 

 朝食を食べ、貸し切り状態の温泉に浸かり、チェックアウトした。温泉のおかげで大変気分が良くなった。

 

 妻と子を迎えに行き、今日に至る。意外と平和で、ひな祭りのケーキを買い、ちらし寿司を食べた。お雛様の前で妻と子の写真を撮り、終宴した。

了解

 体を包む温かさ、湯から立ち上る湯気、眼前に広がる空や山、湯を囲む岩々、木でできた柱や天井、庭に生える草や木立、一定のリズムで流れる湯の音。

 体から大きな息が出ていき、落ち着きと平安が入ってくる。

 自然がつくり出した巨大な場所に足が投げ出される。湯を囲む岩は首を支え、湯の底の岩は尻を支え、湯は筋肉を一つ残らず休ませる。意識も湯や湯気の中に溶け込んでいく。

 お湯に入る前は人間だったのに、いまでは自然の一部になった。

弥彦

 新品の靴に履き替えて弥彦神社に御礼参りに行った。妻も驚くほど、これ以上ない安産だったことをお伝えし、御礼を申し上げた。

 

 鹿が描かれた御守りは、妻の着替えなどを詰めた鞄に結んであった。陣痛がきたことを病院に電話で伝え、しばらく自宅のアパートで痛みに耐え、それから病院に向かった。妻の鞄を病室に運んだ。クローゼットに鞄を置いてから扉を閉めるとき、御守りを手に取り、安産を願った。

 

 弥彦神社への御礼が遅くなってしまった。非常に罪なことをしてしまった。白山神社、神明宮への御礼参りは生まれてから一週間後くらいに行った。弥彦神社は一ヵ月も経った後だった。

 

 遠くから眺めているとわからないが、麓近くを通ったとき、弥彦山は陸側に広がる平野を見守っているのだと感じた。とても堂々としている。弥彦神社の境内に十柱神社という茅葺屋根に苔の生えた小さな神社を見つけた。小さいながらも神様が住んでいるような気配があった。

 

 足が痛くなり、靴のサイズが小さかったことに気がついた。帰りにサイズの大きい同じ靴を買って帰った。弥彦神社を歩いた靴は、履いたその日に下駄箱に仕舞われた。

金木

 起床後、朝7時前に小堀旅館を後にした。弘前駅から川部駅に向かった。川部駅で降りた後、五所川原駅行きの電車の出発まで3時間近くあり、仕方なくタクシーで五所川原駅まで移動することにした。

 

 五所川原駅に着き、「珈琲詩人」というカフェに入った。洋風でとても良い雰囲気のカフェだった。

 

 その後津軽鉄道に乗り、金木駅に着いた。ついに目的地のある駅に辿り着いた。太宰治生誕の地へ向かった。

 

 まずは新座敷に入った。感動した。非常に感動した。太宰が執筆していた部屋を目にし、座った。嬉しいやら悲しいやら寂しいやら、心が震えた。

 

 感想ノートが置いてあり、訪れた観光客の感想が様々に書いてあった。私も書いた。

2024/2/26

あなたの作品は100年以上経ってなお、愛され読み続けられています。

現代に生きる私は、まさに今、当時あなたが創作をしていたであろう部屋を見て、これを書いています。

ぼんやり机と座布団を眺めていると、そこに座って小説を書いているようで、悲しくなります。

 「そこに座って」ではなく、「そこにあなたが座って」と書けばよかったと後悔している。

 

 次に斜陽館を訪れた。豪邸、豪奢、華麗、和洋折衷、古風、とにかく素晴らしかった。

 

 旅の目的は達せられた。終わった。

 

 津軽鉄道に乗り、五所川原駅で降り、川部駅で乗り換え、新青森駅にて今度は新幹線に乗り換え、やぶさに乗って東京駅に着いた。今は新潟行きのときに乗っている。大宮で乗り換えればよかったが、東京で一泊するつもりだったので仕方ない。これほど疲れているとは思わなかった。

 

 ああ、終わった。本当に終わった。さようなら太宰治