起床

 朝6時少し前に起床し、シャワーを浴びた。着替えは持ってこなかったので、コインランドリーで洗濯した昨日と同じ服を着る。

 

 やはり逃避だ。向き合うことが怖いから逃げているのだ。しかしすべてを終わらせることもできない。これも怖いから。シャワーを浴びているとき、想像したらとても怖くなった。実感をともなう想像だった。今までは簡単なことだと思っていた。いや、あの恐怖と苦しみを忘れていただけだった。

贅沢

 小堀旅館に荷物を置き、外に出る。霧雨が降っていた。まだ雪は降っていない。ダウンのフードを被り、居酒屋を探す。

 

 城東閣という通りを抜け、かくみ小路に入る。そこで「まわりみち文庫」という本屋を見つけた。とても良い雰囲気の本屋だった。こじんまりとした静かな本屋。胸が高鳴る。芥川龍之介の『歯車』や『或阿呆の一生』において、彼が本を選ぶ描写を思い出す。内田百閒の『鶴』と萩原朔太郎の『詩の原理』、芥川龍之介全集を買った。

 

 また弘前に来ることがあれば、再度ボードレールについて聞いてみるつもりだ。それはいつになるかわからないし、また来ることができるかもわからない。まわりみち文庫と店員の方(店主かもしれない。あえて聞かなかった。どういう立場であろうと本が好きな共通点のみを楽しみたかった)は、この旅行で大変貴重な出会いとなった。

 

 そのあと「ふぁーすと」という定食屋に寄り、かつ丼とビールを頼んだ。かつ丼は最高に美味しかった。この人生でもっとも美味しいと断言できるかつ丼だった。ここも静かでとても居心地が良かった。外に出ると雪が降っていた。

 

 その後、「花」というスナックに入った。大変よくしていただいた。ママとの会話は非常に楽しかった。妻や子ども、義両親のことも話した。私の外面だけ取り繕う癖についても話した。スナックでは何でも話すことができる。そこがスナックの良いところだ。相手の気持ちに鈍感な私には、ママが楽しんでいるかどうかはわからなかった。

 

 妻の「電話できる?」というラインに返信せず、食べて飲んで酔った。

弘前

 特急つがる弘前駅で下車した。14時45分だった。五所川原駅まで行こうと思ったが、次の電車までかなり時間があり、それに乗って斜陽館に辿り着いても閉館後であることがわかった。そこで弘前に泊まることにし、翌日斜陽館を訪れることにした。

 

 まだ昼の3時なので泊まるには早い。そこで弘前駅から歩いて弘前城へ向かった。弘前城の敷地に入ると車通りの音は聞こえなくなった。とても静かだった。大きな木がいくつも立ち並び、地面には雪が積もっていた。

 

 弘前城天守閣は冬のために入ることができなかった。天守閣のある丘からは岩木山が見えた。とても美しい。天守閣の周りを取り囲む水堀には氷が張っていた。

 

 天守閣や高く立ち並ぶ木々を見ながら、昔ここに生きていた人々を想像した。同じように岩木山を見て感動したり、せわしなく木々の横を通り過ぎたりする姿がうっすら浮かんできた。

 

 敷地内のカフェでコーヒーを飲み、弘前城を後にした。

 

 旅館を探して歩いた。2件入ってみたが、いずれも泊まることはできず、3件目の小堀旅館に泊まることになった。古風で昔の趣を感じさせる外観。部屋の襖や障子に風情が漂っている。

 

 今日は駅弁しか食べておらず、これから少し飲みに行こうと思う。旅行中も頭から家族のことが離れることはないとわかっていた。しかし飲み食いのたびに感じる幸福感が引き連れてくる罪悪感には慣れることができない。

 

 罪悪感を感じるたび、どのように償えばよいかを考える。どのような罰を受ければこの罪が帳消しになるかを考える。そして罪は罰で消えないのだという考えに至る。どのような罰を受けても、その罪によって与えられた悲しみや傷を癒すことはできない。

 

 こんな逃避旅行は今すぐやめて、家族のもとに戻るのがもっとも幸せな選択だ。後でその分罰を受けるからといって罪を深くするのは、もっとも愚かな選択だ。

 

 そう考えてはいても、歯止めがきかない。昔からそうだった。とことん駄目になるまで、落ちるところまで落ちていく。だから太宰治に惹かれるのだと思う。

秋田

 新潟駅を出発した特急いなほ秋田駅に到着した。駅のホーム向かい側には、すでに12時40分発の特急つがるが停車していた。これに乗って青森まで行くのだと思った。

 

 切符は新潟-秋田間しか買っていなかったので、一度改札を出て弘前までの切符を買った。斜陽館に行くには弘前で乗り換えるらしい。そのあと駅弁の飲み物を買い、駅内をぶらぶらした。

 

 ぶらぶらしていたら、ふと寂しさとこれからの不安を感じ、帰りたくなってきた。このまま新潟に帰ろうかと思った。

 

 出発の15分前につがるに乗車した。駅員に、自由席の号車と駅弁を車内で食べてよいか尋ねた。駅弁について聞いたとき、「どうぞ、どうぞ」という返答の中に当然食べてよいというニュアンスが暗に含まれていた。普通列車と新幹線の車内では食事をしてもよいことを知っていたが、特急ではマナーが異なるかもしれないと疑っていた。そんなことはなかった。

 

 駅弁を食べていると、つがるは出発した。帰りたい気持ちはなくなっていた。

出発

 ここ2、3日、太宰治記念館である斜陽館に行こうかと考えていた。決心がつかなかったのは子どもがいるからだ。子どもは妻の実家にいるし、妻も何かあれば頼るのは私ではなく両親だろう。私にとって義両親と会うこと、妻の実家で過ごすことは気が重いと妻にはっきり伝えている。

 

 自分ばかり旅行に行ってないで、そのお金をミルクやオムツに使ったらどうだろう。あるいは4月から中学生になる甥の入学祝に贈ったらどうだろう。

 

 いろいろ考えたが、私以外の人間にとっては行かない方がよい意見しか出てこない。それはそうだ。自分勝手な旅行だ。自分しか楽しまない旅行。頑張って子育てしている妻を置いて、生後1か月の子どもを置いていく旅行。ついに今朝、青森に向けて出発した。

 

 新潟から青森までは、新潟-東京-青森のルートと、新潟-秋田-青森のルートがあるらしい。東京を経由するルートは新幹線を使うため出費が大きい。特急の秋田経由のルートで行くことにした。

 

 新潟駅に着いたのは8時14分。この正確な時刻を覚えているのは、このとき特急いなほの時刻表を調べたからだ。8時22分がいなほの始発の出発時間だった。走った。エスカレーターを一段飛ばしでかけ上がる。

 

 切符売り場まで来た。特急の切符はめったに買うことがないため、自動券売機で買えるかどうか心配になる。しかしみどりの窓口は異様に混んでいる。仕方ないので自動券売機で切符を買う。このとき8時17分。あと5分。

 

 5分じゃ間に合わない、と思った。何番線に乗ればいいかわからない。とにかく在来線の改札を通ろう。改札を通る前にまた窓口があった。

「おはようございます。いなほについてお聞きしたいのですが、次のいなほは何番線でしょうか。」

 我ながら馬鹿丁寧に質問する。思いやりの心だ。「すみません、いなほは何番線ですか?」では思いやりに欠ける。挨拶が大切だ。挨拶の後は、話の概要を述べる。そして最後に質問をする。この構成を常に意識している。相手に自分は大切にされていると感じてほしい。

 

 回答を聞く前に、駅員さんの横の小さな電光掲示板に表示されている「いなほ」の文字が目に止まる。それによると5番線だった。「あ、5番線ですね。」と自分の回答に自分で答えた。窓口を出た後で気づいた。改札に大きな電光掲示板があった。

 

 間に合った。8時20分だったと思う。そして今、いなほに乗って笹川流れの美しさに目を奪われている。何度見ても笹川流れは美しい。

泥酔

 ばかみたいに酔った。朝起きたら頭が痛い。体がだるい。

 

 友人に謎のラインを送ってしまった。『若きウェルテルの悩み』がどうの、芥川龍之介の『歯車』がどうの、ヨルシカがどうの。すごく恥ずかしい内容だった。痛々しい。朝起きたら恥ずかしさがこみ上げてきた。なんとかシャワーを浴び、洗濯をしている。

 

 昨日、急に飲みたくなった。小さい、古びた居酒屋で飲みたくなった。客がほとんどいないようなところがよかった。夜10時ごろ家を出て適当に歩いていたら、何度か前を通ったことのある居酒屋が目に止まり、入ることにした。

 

 中は小さくこじんまりしていた。ビルの一階を占めているので、外観からは店内の大きさがわからなかった。お客さんは自分のほかに2人いた。20代前半くらいの女性たちがテーブルで楽しそうに飲んでいた。店員は、店主と女性店員の2人だった。

 

 私は一人なのでカウンター席に座る。ビールを頼み、砂肝とやげん軟骨を頼んだ。女性たちの会話が聞こえてくる。三条から来たらしい。車で1時間、電車だと信越線で1時間弱。この居酒屋は駅から遠い。

 

 次にビールをもう一杯と、せせりとぼんじりを頼む。どれも最高に美味しい。おいしさがこぼれてきた。

 

 途中から店主が女性たちの隣のテーブルに座り、彼女たちと会話を始めた。もっと串焼きを頼みたかったが諦めた。女性店員も先ほどまで店主と話していたので、手持ち無沙汰になったようだった。

 

 飲むしかなくなった。食事はできない。メニューにラーメンやご飯類もあったので、しめに食べたかったが仕方ない。焼酎の水割りや熱燗を頼み、ただただ飲んでいた。そしてあの謎のラインを友人に送り付けた。

『女生徒』とヨルシカ

 太宰治の『女生徒』を読んだ。読みながらヨルシカを連想した。

 ヨルシカの『斜陽』は太宰治の『斜陽』のオマージュだが、もしかしたら『女生徒』にも影響を受けているかもしれない。

私は、恋をしているのかも知れない。

太宰治『女生徒』

僕は恋をしたんだろうか

ヨルシカ『斜陽』

 

 『だから僕は音楽をやめた』も『女生徒』の影響を受けているかもしれない。

きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。

太宰治『女生徒』

間違ってるんだよ

わかってないよ、あんたら人間も

本当も愛も世界も苦しさも人生もどうでもいいよ

正しいか知りたいのだって防衛本能だ

考えたんだ あんたのせいだ

ヨルシカ『だから僕は音楽をやめた』

 楽器は弾けないし、楽譜もほとんど読めないくらい音楽には疎いが、ヨルシカだけは聴き続けている。好きな曲を挙げればキリがない。

 特に『だから僕は音楽をやめた』は一番のお気に入りだ。

 ヨルシカの『斜陽』のリリース後、太宰治の『斜陽』を読み、またヘミングウェイの『老人と海』もヨルシカの影響で読んだ。最近さまざまな文学作品を読むようになり、深い感動を味わうようになったのは、他でもない。ヨルシカのおかげだ。

 最近のお気に入りのオリジナルのプレイリストは

1. 『晴る』

2. 『月光浴』

3. 『斜陽』

4. 『都落ち

である。

 力強く希望に満ちた『晴る』から、しっとりと落ち着いた『月光浴』に移り、そして直治を沸々と連想させる『斜陽』により悲しみとやり切れない気持ちでずっしりと心を揺さぶられた後、別れを陽気に彩った和楽器の音色が奏でる『都落ち』により、古風な雰囲気に包まれて終わる。