感動

 一体、感動はどこへ行ってしまったのか。

 

 彼と彼の妻は旅行中だった。彼は必死で歩き回って探した。妻がついていくことができない速さで歩いた。何かにとりつかれたように無我夢中だった。彼の妻は、気遣わない彼に怒りをぶつけた。

 

 彼は弁解の余地もなく、理由も添えず謝るばかりだった。旅行中の風景に感動しない、それはつまらないことを表明するようなものだった。

 

 その直後は歩幅を合わせて歩くのだが、しばらくするとまた距離はひらいた。たとえ距離が近くとも、一生懸命歩く妻を気遣わない心の距離だってあるだろうに。

 

 あの階段を登って夜の街を見下ろしたら。あの崖から岩に打ち寄せる波を見たら。水平線に沈む夕日を見たら。

 

 そんな期待が彼を焦らせた。この旅行を美しくしなければならない。

 

 しかし空っぽだった。どんな風景も彼には響かなかった。もっと妻に優しくすればよかったという後悔だけが残った。帰ってから妻の楽しそうに写真を飾る様子を見て、安心とより強い後悔が押し寄せた。その安心にも、彼は罪の意識を感じた。

 

 妻が不憫でならなかった。彼は、自分のような者に不憫だと思われることも、また不憫でならなかった。