働く理由

 夏目漱石の『私の個人主義』を読んでいたら、労働についてすっと腑に落ちることが書いてあった。現代の人間は一人では生きて行けない。着る服は素材から作らず服屋で買う、食べ物は収穫せずスーパーや飲食店で食べる。これらができるのは、働いてお金をもらっているから。みんなそれぞれ得意分野、専門分野がある。人間が生きるために必要なことをみんなで分担し、それが労働になっている。非常に納得した。31 にもなって今さらだと思うが。この歳にもなって知らなかった。恥ずかしくも思い至らなかった。

 あとは開化について。なぜ生活が便利になっているのに楽にならないのか。もう疲れて読めないので明日にしよう。

 と言いつつ少し考えてみると、便利になったおかげでできることも増えているからではないだろうか。みんなで狩猟していた時代と現代、どちらがよかったのだろうか。考えても無駄か。この現代に生きているのだし、狩猟時代には戻らないだろう。戻ったとしてもまた同じ発展を辿るだろう。

 無駄なことばかり考えている気がする。時間を無駄にしている。では無駄ではないこととはなんだろうか。たぶん自分のやりたいことだ。自分のやりたいことをやって充実した人生を送ることができた場合と時間を無駄にしてやりたいことができなかった場合は何が違うんだろうか。充実感を持っているか、または後悔や絶望しているか。これは幸せか不幸せかってことだと思う。幸せか不幸せ、どちらか一方の状態で死んだとしたらもう一方の状態で死んだ場合と何が違うんだろう。もし両者に差がないのならやりたいことをやって充実した人生を送る意味はあるのか。だめだわからない。

 あれ、その状態が起こらない場合を考える必要がないのはなぜだ?考えられない、もう寝よう。