太宰治の『斜陽』を読んだ。恋の革命を夢見る世間知らずのかず子、日に日に弱っていくかず子の母、麻薬や酒で堕落していくかず子の弟の直治の 3 人の物語である。
戦後、貴族だった母とかず子は東京から伊豆に移る。次第に母は体調を崩していく。そこへ弟の直治が戦争から帰ってくる。直治は体調の悪い母のそばにいないで東京に飲みに行ってばかりだ。
母の体調は悪化していく。先が短いと知った後のかず子とのやり取りが切ない。
「お母さま」
と私は呼んだ。
静かなお声で、
「何してるの?」
というご返事があった。
私はうれしさのあまり飛び上がって、お座敷へ行き、
「いまね、私、眠っていたのよ」
「そう。何をしているのかしら、と思っていたの。永いおひる寝ね」
と面白そうにお笑いになった。
母は最期までかず子と直治を心配していた。
かず子は母が生きているときはよく泣いていた。しかし、かず子にとって最愛の母が亡くなったときは妙にあっさりしていた。かず子が泣く様子はなく、母の顔色とかむくみとかを気にしていた。感情の描写ではなく観察の描写だった。
その理由は、かず子には果たさなければならない革命があったからだ。だから母の死を受け入れることができた。かず子の革命とは、相手がどんな環境にいようと自分が恋した相手の子を生むことである。相手がたとえ結婚していたとしても構わない。
私には、常識という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。他のひとの赤ちゃんは、どんな事があっても、生みたくないんです。
たとえ自分が愛人になったとして構わない。
私の望み。あなたの愛妾になって、あなたの子供の母になること。
相手の家庭を壊すこともいとわないような、世間の常識とはかけ離れた決心である。世間はこれを許さない。かず子は世間から許されないことだと知っている。だから革命と呼んだ。
泣き虫で母に甘えてばかりでとても一人では生きられそうもなかったかず子は、母が弱っていくのとは対照的に次第に生命力を増していく。そして生きる目的を見出す。
いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。革命を、あこがれた事も無かったし、恋さえ、知らなかった。
・・・(中略)・・・
私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
そんなかず子は母の死後、母が生きているときとは見違えるほどたくましくなった。
いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。
かず子にとってこの革命は生きる原動力となっている。革命の結果、世間を敵にしてもいい。どう思われようと生きていく覚悟がある。
けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。あさましくてもよい、私は生き残って、世間と争っていこう。
対照的に直治は死への決心を固めていた。
結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないのか。
かず子は世間にどう思われようと自分の望みを達成することが最優先だ。一方直治は世間の目によって生きることに希望を見出せなくなっていく。
直治は世間の目に耐えられず堕落していく。世間の評価が大事で、自分の望み通りの評価が得られないならいっそ堕落して世間から見放されたほうがまだよかった。
僕はただ、貴族という自信の影法師から離れたくて、狂い、遊び、荒んでいました。
しかしどれだけ堕落しても貴族という身分からは逃れられなかった。それはかず子も同じだが、直治とかず子は貴族という自分のプライドを捨てることができたかどうかという点が違っていた。「あさましくてもよい」とプライドを捨てたかず子は生き残り、それができなかった直治は死んでいく。直治にとってはプライドを捨てるより死んだほうがましだった。